02 営業を変革するー2/情報感度を高める

 

「営業」というテーマは千載不易です。インターネットの普及以降、その手法や支援ツールは大きく変化しましたが、人が「人や組織に関わって関係性を構築し、取引を成立させる」という点は大昔から変わりがありません。(もしかすると、遠くない未来、そういった領域の大半をAIが担うことになるかもしれませんが。)

 

千載不易という意味では、私はときおり本棚から<ちょっと古くなった営業関係の書籍>を意識的に取り出して目を通すことがあります。手法や技術的側面では陳腐化していても、考え方やマインドの観点では本質を衝いている記述に再会し、新鮮な気持ちになることもしばしばです。

 

先日も紙がやや黄ばんだ一冊を手に取ってページを繰っていると、次のような記述に出くわして、思わず「これは今でも通用する話だ」と頷きました。

 

「日本の営業はおかしい。欧米に比べてブルーカラーの生産性はきわめて高いのに、ホワイトカラーの生産性が低い。それが日本企業の特徴である。やっていることに無駄が多すぎる。たとえば、読みもしない日報を書かせているマネジャーがいる。だいたい売れていない営業マンほど日報が長い。そういう営業マンが書いている内容はおおむね次の3パターンに集約される。1,私が担当している顧客はいかに難しいか。2,私が担当している商品はいかに売りにくいか。3,私がいかに努力して正しく失敗しているか。・・・これでは営業の生産性など上がるわけがない」

 

「正しく失敗している」というのは面白い言い回しですが、文脈から判断すると「本人もこの通りやったところで失敗すると思いながら、でも指示されたとおり(またはその組織のマニュアル通り)に行動して、結局『因果正しく』失敗し続けている」という意味でしょう。


他にも、日報の問題にからんで「文章はアナログ情報である」という記述が目に留まり、いまこうして文章を書いていてなんですが(苦笑)なるほどな、と思いました。


たとえばここに一枚の抽象画があるとします。それを言葉で表現しようとすれば、「サボテンに見える。リボンに見える。いや、女性の顔のように見える」など、観察する人ごとに異なった情報へ翻訳されてしまいます。さらにその情報を他の人に伝達していけば、どんどん中身があいまいになり、無数の解釈が生まれてしまう、ということです。

 

たしかにこれは営業の現場でもよく見られる現象でしょう。お客様が言っていることは同じなのに、担当者によって捉え方が違う、情報の引き出し方もまちまちになる。お客様はニーズを明らかにしてくださっているのに、それを読み違え、的外れな提案をしてしまう。担当者だけでなく、直接報告を受けた上司が情報の質や精度を見誤ってしまえば、見当違いの指示を出し、組織を間違った方向へリードすることになります。


くだんの書籍の著者が主張する「生産性を高めるためにも、情報のあいまいさを極力減らさなければならない」という主張は、私自身まことにもっともだと(インターネットで大量の情報が、それもノー・コストで得られるようになったからこそ)納得した次第です。

 

「情報とは、情けを報らせると書く。だから情が入っていないと駄目なんだ」とおっしゃる人がいます。かつて私も、ある上司からそう教えられた経験があります。たしかに人の情けを否定するものではありません。しかし、「こうであったらいいな。こうであってほしい。いや、たぶんこうだろう」という「情緒的」要素に影響されていたのでは、情報の質が一向に高まらず、正しい判断を下すことが出来ません。


日本という国は同質幻想がつよく、営業のやり方も一種の甘えに支えられてきた面がなきにしもあらず、です。「メーカーと販社の蜜月」「グループ企業同士のもたれあい」「売り手中心の発想」など、たしかに未だに続いている文化もあるでしょうが、間違いなく時代は変化し、顧客の価値観は大きく変質しています。すでに腹芸や阿吽の呼吸が通用しない世の中になっているのです。すべての営業担当者は、情報に対して一層集中力を高めると同時に、あいまいさや思い込みを排斥するべきでしょう。情報感度が悪い営業担当者は、ますますその存在意義を失っていくに違いありません。


そういった今日的背景を視野に入れながら、一人一人が情報感度を磨くためにはどのような物差しを持てばいいのでしょうか。私なりに考える物差しは次の4つです。

スピード

今や「いつでも・どこでも・瞬時に」が購買行動の基本です。以前に比べて<ニーズの表出→検討→決断>のサイクルもより短く、素早くなっています。「情報はあっという間に陳腐化する」と意識し、スピーディな情報活用を心がけることが大切です。

シンプル

表現を変えれば「明快に本質を衝く」ということです。「要するに何なのか」本質や核心を衝いた情報でなければ価値がありません。情緒的表現や文学的修飾に流されることなく、本質を把握するトレーニングを上司も部下も普段から心がける必要があります。

定量的

すべての情報を定量的に捉えることはできませんが、あいまいさを失くすためには、できるだけ対象を定量的に分析し、誰にでも共通する指標を用いて情報交換することが必要でしょう。形容詞をそろえることは困難でも、何件・何回・何パーセント・何時間何分・何割という表現を基本に置くことはできます。定量的表現が組織の共通言語になるよう、リーダーは人々を教育しなければなりません。

仮説に基づいている

以上の3点を前提としながら、合理的に仮説を立てる習慣を持つこと。ただし仮説とは、単なる主観や個人的推論ではありません。「この情報の組み合わせからは、次の可能性が考えられる。したがってこの打ち手を優先させるべきである」といった、多くの人間を納得させられるだけの論理性、説得力を持ったものが本来の「仮説」です。仮説なき情報は単なるデータの羅列に終わる恐れがありますし、なにより「必要な情報」と「不必要な(とりあえず棄てていい)情報」の区別がつかなくなります。大量の情報が溢れる現代にあって、仮説を持たずに営業活動を続けることは、自ら消耗戦の道を歩むのと同様でしょう。

 

ではまた次回。